ごまちゃんの世界史ノート

私の目的はたった一つ。「日中戦争の阻止」である。故にこのブログを立ち上げた理由も私の行動も、全てここに帰結する。現在の強引な憲法改正論。考えてみてほしい。今すぐやることではない。コロナパニックなどで疲弊した経済、市民生活をどのように回復させるかが急務なのに、なぜ軍事費を過去最大にして、福祉を最小にしているのか。騙されていては全てを失う。故にまずは知ってほしい。

20231022 いつの日か

20231022 いつの日か

いつの日か、私も闘えなくなる日が来る。
その時、闘いの大部分は次世代の人たちが担っているのだろう。

「カチノナイジブン」
・・・・?   
意味が分からない。
もし正確に人の価値を量れるのならば、その時点で世界三大聖人を凌駕している。
大聖人(と呼ばれている)でさえ人を正確に量ることは困難なのに、「カチノナイ」自分がその価値をどのように量るというのか?

いつの日か闘わなければならない日が来る。
いつもそうだが、「俺なら絶対に逃げねえぜ!」と言っている奴は、いの一番に逃げ出す。
こいつらはいつもこう言う。「俺は価値がある人間だ!」と。
「カチノアルジブン」と豪語している奴らはいつも「カチノナイ」行動をする。今まで踏みとどまって闘った奴など見たことがない。
そもそも人の「価値」などというものは自分で決め付けることが出来るのか?

いつの日か闘わなければならない日が来る。
その時あなたが闘えば、それを見ていた人たちの心の中に「価値」が生まれるのではないか?
あなたが闘えば、暗く沈んでいた誰かが笑顔を取り戻す。
あなたが闘えば、誰かの勇気になる。
あなたが闘えば、誰かが希望を見出す。
あなたが闘い続ければ、あなたが誰かにとっての「英雄」になる。
その「誰か」の中に宿るのがあなたの「価値」ではないのか?

いつの日か闘わなければならない日が来る。
口惜しいのは闘わなければならないその時に、もはや闘えなくなっていることだろう。
三大聖人を凌駕した「あなた」が下した「カチノナイジブン」。
だから、こんな自分などどうなっても誰も困らないだろうと。
ふざけるな。
誰かにとっての「英雄」を粗末に扱うことなどあってはならない。
誰かの心の中に宿る「価値(希望)」のために闘い始めたその時点で、あなたの体・あなた自身はもはやあなただけのものではない。
本当の「カチノアルジブン」はそこにいる。

闘わなければならない日はいずれ来る。
その「カチノアルジブン(英雄)」を粗末に扱うというのなら、雷を落としてやる。